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ふじ美先生の相談窓口
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059-232-2075

社会福祉法人 高田福祉事業協会
高田保育園

三重県津市一身田町280
TEL.059-232-2075
FAX.059-232-2307
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高田(たかだ)保育園は三重県津市一身田(いしんでん)町にある保育園です。
 親鸞聖人(しんらんしょうにん)を開祖とする真宗高田派の本山、専修寺(せんじゅじ)を基盤とし、『すくすくのびよ仏の子』をキャッチフレーズに、月に一度の参拝や仏教の行事を通して「生命を大切にし、感謝するこころを育てる」仏教保育をすすめています。

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2024年度(R6)園長コラム

『期待』令和6年度保護者会会報から

『 期 待 』       園長  草深ふじ美
   
「思い込み」ってあると思う。
見えないもの、聞こえないもの。物理的にはっきりしていないことは、だいたいが思い込みで動いているような気さえする。
当たっていたら、やっぱりな・・・ってある意味肯定的に、ちょっと自信をつける。でも逆に違っていることもある。そんな時は割と都合よく置き換え術を発揮したりして、さもなかったことのように立ち振る舞うか、あるいはそれもそうよね・・・と開き直るか、はたまたしっかり落ち込むか。
そもそも思い込みはいずれの場合も、自分寄りなのだとつくづく感じる。
こと我が子に関しては、いろんなそれが付きまとう。
子を思えばこそ自然に湧いてくる、期待と不安、喜びと落胆、優しさと怒り。それらに振り回されながら、思い込みを発動させて、更に大きく揺さぶられる。
 
だから、子育てって忙しい。精神的にも忙しい。
過ぎていく時間は否応なしに一定のスピードなのだから、もう楽しむしかない。
振り回されることを楽しむしかない。
大丈夫。子はだんだん強くなっていく。そう、きっとすでに身に付いているはず。
頑張ること、応援すること、助けること、助けてもらうこと。
ありのままを見ること、ありのままを見せること。
育てたように育った子の
ありのままを受けとめることは、矛盾しつつも時としてしんどいかもしれないが、
それが我が子。
愛してやまない大事な子。
 
可能性の塊であるこの子らの、希望にあふれた広い未来には、
どうか、ありのままを愛せる人たちがいてくれますように。
 
あらかた子育ては終了したが、いろんな場面で「思い込み」に振り回されている私。
でも、そんな自分がなんだか愛おしい。
今だからこそ 愛おしい。

「高田保育園は動かない」3月園だよりから

ようやく何とかしなくてはと思えるようになり、隙間時間に車を走らせる。12年間放ってあった実家。小さな松とツツジにモミジ、その割と上品な格好をした木達の間に、割と形のいい石がまあまあ感じよくレイアウトされていて、白い小石はせせらぎに見立てたようだった。春にはピンクのツツジが甘い香りを漂わせ、秋にはモミジが赤く染まる。家主はその割と形のいい石に腰かけて一服するのが日課だった。小さな庭でもバーベキューができるぞと、孫がくると嬉しそうに肉を焼いてたっけ。目をつぶるとはっきり浮かぶ昨日のように。今・・・目の前には樹木化した草、所狭しと右に左に動き回って伸びたのだろう棘のあるツルたち。そこはもう、びっくりするほどに別世界。厚手の手袋と二の腕勝負の剪定バサミがないと前には進めないのだ。       12回の春と12回の夏と12回の秋と冬.12回見て見ぬ振りをされてそれはそれは見事に育った雑草たち。家主が亡き後も、その自慢の松やモミジが朽ちた後もお前たちは息を吹きかけ生命を繋いでくれていたんだ。それにしても強いし痛いな。まだ寒いからこれでも大人しくしてくれているんだよね。 

バチンッ、バチンッ。ありがとう。バチンッ、バチンッ。ありがとう。守ってくれてありがとう。

見えてきたよ、腰かけ石。あそこからどんな風に見えるのだろう、力強い雑草たちの息遣いが聞こえるだろうか。12年前とは違う生命の住まい。

・・・でも今日は無理だ、ほんの3メートルが至難の業。今度はノコギリを持って来るよ。父さんが座った場所で私も一服したいから。形のいい腰かけ石で。

 時間が経っても変わらない。そっとさりげなくそこにいて、実はどっしり待っている。そんな人間になれたらいい。この子たちが迷ったとき、この子たちがつらいとき、立ち寄る場所になれたらいい。

 高田保育園は動かない。ずっとずっとここにいる。 巣立つ子らよ忘れるなかれ

「高田保育園伝統的一大イベント」2月園だよりから

高田保育園の伝統行事は何か?と聞かれたら、その一つにお相撲大会は外せない。20年前は、髷に似せたカツラをかぶっていたように記憶するが、いつからかそんなものは邪魔になる、気になって取組めないと言うことでなくなった。進行・判定役の行司が本格的になってきたのも、思い起こせば、当時高田保育園初となった男性職員の採用がきっかけとなっているような。なくてはならない盛り上げ人。その時の成り行き、普通に思う日常の流れの中で歴史は築かれている。

 そして、なぜそんな園長が誇る伝統行事を保護者に見せないのか、、、というところ。

 園児が観戦するのでスペースがないのは理由の一つではある。絶対見てほしい友達の表情。応援できる子は応援してもらえる人になる。礼に始まり負けても勝っても礼で終わる。この人として大事なことを幼いうちから見て感じてほしい。

 家庭社会から外社会に出て成長していく子どもたち。親がいないところで、自分で考え自分で行動する。すごく嬉しかったり、すごく悔しかったり、いろんな思いを全部自分で受けとめて先生の愛情の中で安定する。お相撲大会はその全てが詰まっている行事と言っても過言ではなく、だからこそ、先生達も声をからして応援し、笑って泣いて抱きしめる。

 運動会や発表会とは少し違う成長のステージがそこにはあることをわかっていただきたい。  です。

「あけましておめでとうございます」1月園だよりから

足早に過ぎゆく時間の中で生きているような気がしていますが、考えてみれば、時計の刻むスピードが人によって変わるわけではなく、誰にでも平等に与えられている極めてフェアな存在。だとすると、その公平な時間の中で、走るのも歩くのも、スキップするのも、立ち止まるのも自分の采配であって、言ってみれば気持ちの持ち方次第。そうなると、私が使うあっという間というのは、言い訳に過ぎない気がしてくる。時間がないせいでできなかったとか言っている段階で、自己中心的な物の見方しかできていない証拠かも・・・。と昨年やり残したことへの言い訳を一生懸命正当化して格好よく言おうと考えている自分がいます。

 実は・・・年末のお休み中インフルエンザに臥しておりました。

と言っても一晩で熱は下がりほぼ元気だったのですが、お孫ちゃんにうつすといけないので自室にこもっていた4日間。「ばぁーばとこ行くぅ」と窓越しで大泣きしている3歳。。。。。そうだ、この辺に……いつか編もうと買っておいた毛糸があったはず。だって、今だよ、時間はたっぷりあるぞ。  久しぶりの編み物だから

思い出しながら編針を動かし、網目を数えながら編んでいく。同時進行でいろんなことが頭をぐるぐる。編針を動かす手指、イメージする形、誰が考えたんだろう、編み物ってすごいなあ。一本の糸が規則正しく絡まって思う形になっていく。数え間違えたり目を飛ばしたり規則を破っても何かの形にはなっていて、もっとすごいのは間違えに気付いたらそこまでほどけば何回でもやり直せること。

 ふと、幼い頃にリンクする。お母さんがセーター編んでくれたよなぁ……お姉ちゃんが叔母さんにもらったのが羨ましくて、ただただ不機嫌でふくれっ面の私のために。そうよ、あのお気に入りはお母さんのセーターをほどいた毛糸で編んでくれたんだ。山奥の田舎で運転もできないお母さんが魔法使いのようにプレゼントしてくれた、薄い黄色とエンジ色の少し丈の長い裾の広がったセーター。すんごく嬉しくてすぐに着てはしゃいだ朝、お母さんは寝てなかったんだよね。急に眼がしらがギュッと詰まる感じがした、セピア色の風景の中に笑みを浮かべながら手を動かすお母さんの姿が見えて……うぁっっぁぁ……。涙が勝手にどんどん出てきた1231日泣き納め。お正月はお墓参りに行こう。すっかり気持ちも浄化された感じになった時、帽子が2つ、ピンクと白のお揃いで。お孫に渡そう。。喜んでくれるかな。

 ある意味あっと言う間の時間。あっという間も悪くないと、これまた自己中心的な思い込み。

今の時間は今しかない。

さあ!! 2025年の大切な今を一緒に進もう

「風さん、運んでくれてありがと」12月園だよりから

今日は、大切なお客様が来てくださいます。

一つの風船がたくさんの力を借りて繋いでくれた

嬉しい出逢い。おぎのさんは愛知県岡崎市木下町の田んぼに落ちている美都葉さんの風船を見つけて、保育園にお電話をくださいました。920日、とっても暑い中での合同参拝が終わった夕方のことでした。

 なんと、そのおぎのさんが今日みんなに会いに来てくれるのです。子どもたちの元気な姿をみてもらいたいです。

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  荻野さんはとっても素敵な方でした。5歳児さんのライオンキングの練習も見てもらい、一緒にお給食も食べました。風船が降りた田んぼの米でできたポン菓子をいただき大喜びです。

 風船が繋いでくれた温かい出逢いを、子どもたちもずっと覚えていてほしいな。ほっこりする大事なご縁に感謝です。

「彼岸花さんありがとう」11月園だよりから

 コロナが5類になり、中止にしていた行事がほぼ復活しつつある中で、4年前と何が違うのか・・・やりきった後の疲労感が、心地よくかつ爽やかに抜けるまでの所要時間が長くなっているような。はてはてこれはどうしたものか。。。

 昨年までは気が付くと彼岸花が咲いていて、何にも動じない自然の力強さを感じていたのに、今年は道端にその季節のお知らせがないまま彼岸法要を終えた。先日の合同参拝では、国宝たる御堂の中で熱中症などの不調者を出してはなるまいと、駆け回って段取りをした始末。。。

 そして今日。一概に歳のせいとは言いたくないなと思いながらの出勤途中、いつもの道端に彼岸花。車の窓を開けると爽やかな風。出てくる時を知っている、やっぱり自然の力は偉大ですやん。なんだか背筋が伸びた。暑さのせいでリズムを狂わされていると思っていた自分は試されているんだと感じた。

 自然環境は変われども子どもの育ちは時代を経ても変わらないんだ。真ん中には 子どもの命があるのだから。

 様々な邪魔が入る子育て環境を受けとめて、逆に利用することに思考をシフトチェンジできたなら、何も困ることないのか・・・。まず私たちのチームワーク。みんなと話そう。子どもを真ん中に考えた高田保育園がもっと輝くために。

 彼岸花さんありがとう。

「レジリエンス」10月園だよりから

一緒に居られるのは、長い人生から考えるとほんのわずかな時間。大人になったら忘れてしまう事の方が多いそのわずかな時間を、全力で大事にするのが私たちの仕事。
 自分の子どもではないのだから、どんな人生を歩むのか分かるはずもなく、その先の責任はとれないのである。
言い換えれば、先々まで面倒を見ることができないのに、人生の一番大切な時を一緒に過ごし、少なからず影響を及ぼしているという事になるのだろう。
 
 私たちにできる事、それはごくシンプルに「希望をもって生きる」ための今を一緒に過ごすこと。
一緒に遊び、一緒にご飯を食べる。一緒に笑って、一緒に泣くことだってある。そんな毎日の関りそのものが生きる力につながっている。そう考えると、私たちの仕事はシンプルなのにとてつもなく重要。大げさではなく。

 大きな壁にぶち当たった時、もがきながらも前に進むことを選択できる人になってほしい。保育園時代の楽しい体験、抱きしめられる温もりが、いつかみんなの力になる。
そう信じている私にできる事は、職員一人ひとりの素晴らしいところが子どもたちに伝わるように導いていくこと。

 高田保育園が愛で包まれている事。それが一番大事。

「全力ってなんだ」9月園だよりから

全力って何だ? その時の自分はきっとわかっていない。
思い返すと、今でもあの熱量がよみがえる。楽しかったな…。  
 若者たちよ!やってみよう。 
 本気になることを躊躇するな。
思いは受け継がれ伝統になていく。
 さあ!2024年度、後半戦がスタートします。
下の写真は、〇十年前(現役時代)の私です。
子どもたちと一緒の体操服を準備!
実習生時代の主任が写っています。
全力短パンでフルスイング!!

「笑顔あふれる食卓へ」8月園だよりから

子ども達の食事事情。なかなか食べてくれない。じっとしては食べれない。好きなものしか食べない・・・・などなど。気になることはありませんか?

 ある偉いお方の本に「自己防衛本能として子どもの味覚は敏感である」と書いてあるのを見つけました。苦みは毒、酸味は腐敗が自然界の感覚だということを考えると、自己防衛とはなるほど、食べ物に慎重になるのは自然の摂理、子どもはすごいと思いませんか。好き嫌いは子どものせいでも、しつけのせいでもないということです。

 そして、一般的に乳幼児の集中力は年齢+(プラス)1だと言われています。これも偉い方の研究結果です。お家でリラックスしている中であっちこっちで食べたり、遊びながら食べさせてもらったりするのも仕方ないことだと思えませんか。そう考えると、保育園ではとっても頑張っていて、先生や友だちと食べることが楽しい=食べる時間→食べることは大事と繋がっていくのですね。その過程で無理に食べさせたり、怒ったりしてしまうと、ペースが壊されたと子どもの本能がキャッチするのかもしれません。

 例えば2歳の子どもの胃袋は500㏄。もちろん個人差はありますが、どうでしょう、1杯の汁とおかず、ご飯少しで満杯ですよね。運動量もそれぞれですし、食欲もみんな違います。何回もお腹がすいて「なんか食べたい」となってしまうのも、仕方ないか・・・ってなります。保育園の集団では、ご飯の時間が決まっていると毎日の生活の中で覚えていくから、

「今食べないと、元気出ない」→食べることは大事と繋がっていくのだと感じています。

 食育の歯車は楽しさからスタートし回りはじめます。

子どもの食事の「ムリ・ムダ・ムラ」は発達上仕方のないこと、少し肩の力を抜いて。

まずは私達大人が美味しく楽しく食べる姿を見せながら、

笑顔があふれる食卓であれば最高だなと思います。

「幸せだと思えるところ」7月園だよりから

只々、自分の漠然とした不安を開示し保護者の皆様を巻き込んで、そうしたことで自分自身を浄化し、改めて園を律していきたい私の思いを聴いていただく・・・という時間。園長のつぶやきごときで貴重な時間をつぶしてしまったかもしれないだろう空間で、温かくうなづいてくださった方、拍手までくださった方々。つくづく幸せだと感じました。ありがとうございました。

 高田保育園は、社会福祉法人高田福祉事業協会の一施設です。老人ホームが母体となる法人です。

0歳からお年寄り、生涯を共にする環境として成長してきました。子ども時代は私たちが通ってきた道。老人介護はする側受ける側、いずれにしてもこれから先何らかの形で通るだろう道。 

この歳になってふと思うのは、どんな生涯の閉じ方をするのかな・・・・ということです。20年来一緒に働いている職員は、私の介護をしてくれるとか言ってますが(笑)。 保育園前の高田ケアハウスに入居しようかとか、みんなでいこ。待ってるわ。とか、言ってみたり。とにかく、ここ高田保育園の周辺にいたいという思いがにじみ出ている。

くどいくらいの高田愛・・・。 

 「自分や家族がそこに居て幸せだと思えるところ」 そんな法人、そんな環境でありたいと思います。  

「りそーす」6月園だよりから

「園長先生のコーナーいつも読んでいます。」と何人かの方からお声をかけていただきます。嬉しい限りです。いつもその時の思いのままに書いていますが、これが結構発行ギリギリで・・・。実は今も、前日の夜中だったりするのです。どうやら私は止まったら思考が停止する構造になっているらしく、しかも、自分を追い込むことが得意みたいで

この生活が苦になっているわけでもなく、しかし嘘偽りない年齢を鑑みるともう少し時間にゆとりをもって進まないとダメなのかなと、一瞬脳裏をよぎるのです。一瞬ですが。。。。

そこで、今回は皆さまのお力をお借りして、「園長の生活改善プロジェクト」を計画宣言します。

 1、週に1日は夕日が見れる時間に帰る(先日、久しぶりに見た夕日に感動しまして・・・)

 2、コーヒーは1日5杯までにする(えり先生に怒られるんです。「何杯目ですかあ!!?」って)・・・もちろん園長の身体を気づかってです(笑)

あ~もう後は思いつきません。やっぱり、今の生活どこをとっても自分に必要なリソースなんだと思います。

やりたいこと、やるべきことに対するリソース(資源)がいっぱいあることで、私は生かされているのだと今改めて気付かされました。 みなさんのリソースは何ですか? ちょっと一緒に考えてみてください。大事なお子さん、家族、そして頑張っている大事な自分の身体。みんな大切な資源なんですよね。頭の整理がつきました。 よーし!1番と2番実行します。  園 長

  

「だんだんと感じていくもの」5月園だよりから

子どもたちは、初めて経験する様々な出来事を、少しずつ自分の生活に組み込もうと頑張っています。社会進出の第一歩となる保育園集団。はじめは、どうしてここにいるのかもわからず、ただただお母さんを探して泣いていた子も、抱っこされるとなんだか安心する先生の存在に気付きます。楽しそうなおもちゃや絵本があることに気持ちが動くのはそれから。おいしいご飯もおやつもあるし、自分がここにいても大丈夫だと確信するのです。そして必ずお家の人が迎えに来てくれる。頑張ったねって抱きしめてくれるから、またここに来ても大丈夫だと思えるのです。

 繰り返される経験の中で子どもは自分の存在の大切さをだんだんと感じていくもの。まだ幼いからわからないのではなく、未熟だからこそ、見るもの、聞こえるもの、触れるもの、その全てが自分にとってどうなのかを全身で感じているのだと思うのです。

 みなさんは『ママのスマホになりたい』という絵本をご存じですか? 子どもの作文から書かれたお話です。先日の研修で話題になったのですが、改めてモバイル機器のパワーを感じました。大人が無意識に触っているスマホ。誰も子どもを無視しているつもりでないのが落とし穴です。一生懸命話しかけている子どもにとっては、視線の先のスマホのほうが自分より大事なんだと感じてしまうのも、ごく当たり前のことだと思いますよね。 

 今しか聞けない、今の子どもの声を、目と心で聴いてあげたいですね。                 

                        園 長

「大好きな場所」保護者会会報「のんの」より

「先生が、いろいろやってくれたからやな。ありがとう。」

一月。
卒園前のdayキャンプ、みんなで力を合わせて宝箱を見つけた瞬間、楽しさの絶頂。

手にした宝物は、発表会衣装で撮った写真のキーホルダー。じっと見つめてから視線を移し、私の前に来てふと口にした一言。

なんだろ、完全ノックアウト。

幼児教育は学んだものの、すんなりとこの現場に入った人間ではない。デザインや服飾、バイヤーの仕事に興味があって、実家を離れてアパレル業界に就職したのが私の職歴のスタートなわけで、実習先の園長先生の電話で急に始まった保育職の道。

もったいないと言う人もいたが、公立保育園を何の躊躇もなく5年で辞めて、子育てと家事に専念したのは高田保育園と出会うまでのわずか一年と数か月。

担任時代から今の立場へと、振りかかった流れに大きく逆らうこともなく、その場その場を自分なりに進んできた。スタートこそずれていたが、たくさんの経験を重ね、たくさんの親子と出逢い、気付けば、さも天職のような顔をしている自分がいることに不思議な感覚さえしてしまう。

そう、

三〇年間ずっと一生懸命になれたこと、それは間違いなく自分の力ではない。

幼くとも純粋な子どもたちの想いが、私の両手を引っ張ってくれているのだ。

それを改めて実感し、気持ちをわし掴みにされた一撃。

わずか六歳の子が私のブレを修正し、大丈夫だと後押してくれたのを感じたのだ。

一瞬時が止まったようで

周りを見ると、どの子もみんな最高の笑顔。同じように幸せで満たされる先生たちもそこにいた。



やっぱり私は

高田保育園が 大好きだ。
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