2024年度(R6)園長コラム
『期待』令和6年度保護者会会報から
「高田保育園は動かない」3月園だよりから
ようやく何とかしなくてはと思えるようになり、隙間時間に車を走らせる。12年間放ってあった実家。小さな松とツツジにモミジ、その割と上品な格好をした木達の間に、割と形のいい石がまあまあ感じよくレイアウトされていて、白い小石はせせらぎに見立てたようだった。春にはピンクのツツジが甘い香りを漂わせ、秋にはモミジが赤く染まる。家主はその割と形のいい石に腰かけて一服するのが日課だった。小さな庭でもバーベキューができるぞと、孫がくると嬉しそうに肉を焼いてたっけ。目をつぶるとはっきり浮かぶ昨日のように。今・・・目の前には樹木化した草、所狭しと右に左に動き回って伸びたのだろう棘のあるツルたち。そこはもう、びっくりするほどに別世界。厚手の手袋と二の腕勝負の剪定バサミがないと前には進めないのだ。 12回の春と12回の夏と12回の秋と冬.。12回見て見ぬ振りをされてそれはそれは見事に育った雑草たち。家主が亡き後も、その自慢の松やモミジが朽ちた後もお前たちは息を吹きかけ生命を繋いでくれていたんだ。それにしても強いし痛いな。まだ寒いからこれでも大人しくしてくれているんだよね。
バチンッ、バチンッ。ありがとう。バチンッ、バチンッ。ありがとう。守ってくれてありがとう。
見えてきたよ、腰かけ石。あそこからどんな風に見えるのだろう、力強い雑草たちの息遣いが聞こえるだろうか。12年前とは違う生命の住まい。
・・・でも今日は無理だ、ほんの3メートルが至難の業。今度はノコギリを持って来るよ。父さんが座った場所で私も一服したいから。形のいい腰かけ石で。
時間が経っても変わらない。そっとさりげなくそこにいて、実はどっしり待っている。そんな人間になれたらいい。この子たちが迷ったとき、この子たちがつらいとき、立ち寄る場所になれたらいい。
「高田保育園伝統的一大イベント」2月園だよりから
高田保育園の伝統行事は何か?と聞かれたら、その一つに『お相撲大会』は外せない。20年前は、髷に似せたカツラをかぶっていたように記憶するが、いつからかそんなものは邪魔になる、気になって取組めないと言うことでなくなった。進行・判定役の行司が本格的になってきたのも、思い起こせば、当時高田保育園初となった男性職員の採用がきっかけとなっているような。なくてはならない盛り上げ人。その時の成り行き、普通に思う日常の流れの中で歴史は築かれている。
そして、なぜそんな園長が誇る伝統行事を保護者に見せないのか、、、というところ。
園児が観戦するのでスペースがないのは理由の一つではある。絶対見てほしい友達の表情。応援できる子は応援してもらえる人になる。礼に始まり負けても勝っても礼で終わる。この人として大事なことを幼いうちから見て感じてほしい。
家庭社会から外社会に出て成長していく子どもたち。親がいないところで、自分で考え自分で行動する。すごく嬉しかったり、すごく悔しかったり、いろんな思いを全部自分で受けとめて先生の愛情の中で安定する。お相撲大会はその全てが詰まっている行事と言っても過言ではなく、だからこそ、先生達も声をからして応援し、笑って泣いて抱きしめる。
運動会や発表会とは少し違う成長のステージがそこにはあることをわかっていただきたい。 です。
「あけましておめでとうございます」1月園だよりから
足早に過ぎゆく時間の中で生きているような気がしていますが、考えてみれば、時計の刻むスピードが人によって変わるわけではなく、誰にでも平等に与えられている極めてフェアな存在。だとすると、その公平な時間の中で、走るのも歩くのも、スキップするのも、立ち止まるのも自分の采配であって、言ってみれば気持ちの持ち方次第。そうなると、私が使う『あっという間』というのは、言い訳に過ぎない気がしてくる。時間がないせいでできなかった…とか言っている段階で、自己中心的な物の見方しかできていない証拠かも・・・。と昨年やり残したことへの言い訳を一生懸命正当化して格好よく言おうと考えている自分がいます。
実は・・・年末のお休み中インフルエンザに臥しておりました。
と言っても一晩で熱は下がりほぼ元気だったのですが、お孫ちゃんにうつすといけないので自室にこもっていた4日間。「ばぁーばとこ行くぅ」と窓越しで大泣きしている3歳。。。。。そうだ、この辺に……いつか編もうと買っておいた毛糸があったはず。だって、今だよ、時間はたっぷりあるぞ。 久しぶりの編み物だから
思い出しながら編針を動かし、網目を数えながら編んでいく。同時進行でいろんなことが頭をぐるぐる。編針を動かす手指、イメージする形、誰が考えたんだろう、編み物ってすごいなあ。一本の糸が規則正しく絡まって思う形になっていく。数え間違えたり目を飛ばしたり規則を破っても何かの形にはなっていて、もっとすごいのは間違えに気付いたらそこまでほどけば何回でもやり直せること。
ふと、幼い頃にリンクする。お母さんがセーター編んでくれたよなぁ……お姉ちゃんが叔母さんにもらったのが羨ましくて、ただただ不機嫌でふくれっ面の私のために。そうよ、あのお気に入りはお母さんのセーターをほどいた毛糸で編んでくれたんだ。山奥の田舎で運転もできないお母さんが魔法使いのようにプレゼントしてくれた、薄い黄色とエンジ色の少し丈の長い裾の広がったセーター。すんごく嬉しくてすぐに着てはしゃいだ朝、お母さんは寝てなかったんだよね。急に眼がしらがギュッと詰まる感じがした、セピア色の風景の中に笑みを浮かべながら手を動かすお母さんの姿が見えて……うぁっっぁぁ……。涙が勝手にどんどん出てきた12月31日泣き納め。お正月はお墓参りに行こう。すっかり気持ちも浄化された感じになった時、帽子が2つ、ピンクと白のお揃いで。お孫に渡そう。。喜んでくれるかな。
ある意味『あっと言う間』の時間。あっという間も悪くないと、これまた自己中心的な思い込み。
今の時間は今しかない。
さあ!! 2025年の大切な今を一緒に進もう
「風さん、運んでくれてありがと」12月園だよりから
今日は、大切なお客様が来てくださいます。
一つの風船がたくさんの力を借りて繋いでくれた
嬉しい出逢い。『おぎのさん』は愛知県岡崎市木下町の田んぼに落ちている美都葉さんの風船を見つけて、保育園にお電話をくださいました。9月20日、とっても暑い中での合同参拝が終わった夕方のことでした。
なんと、その『おぎのさん』が今日みんなに会いに来てくれるのです。子どもたちの元気な姿をみてもらいたいです。
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荻野さんはとっても素敵な方でした。5歳児さんのライオンキングの練習も見てもらい、一緒にお給食も食べました。風船が降りた田んぼの米でできたポン菓子をいただき大喜びです。
風船が繋いでくれた温かい出逢いを、子どもたちもずっと覚えていてほしいな。ほっこりする大事なご縁に感謝です。
「彼岸花さんありがとう」11月園だよりから
コロナが5類になり、中止にしていた行事がほぼ復活しつつある中で、4年前と何が違うのか・・・やりきった後の疲労感が、心地よくかつ爽やかに抜けるまでの所要時間が長くなっているような。はてはてこれはどうしたものか。。。
昨年までは気が付くと彼岸花が咲いていて、何にも動じない自然の力強さを感じていたのに、今年は道端にその季節のお知らせがないまま彼岸法要を終えた。先日の合同参拝では、国宝たる御堂の中で熱中症などの不調者を出してはなるまいと、駆け回って段取りをした始末。。。
そして今日。一概に歳のせいとは言いたくないなと思いながらの出勤途中、いつもの道端に彼岸花。車の窓を開けると爽やかな風。出てくる時を知っている、やっぱり自然の力は偉大ですやん。なんだか背筋が伸びた。暑さのせいでリズムを狂わされていると思っていた自分は試されているんだと感じた。
自然環境は変われども子どもの育ちは時代を経ても変わらないんだ。真ん中には 子どもの命があるのだから。
様々な邪魔が入る子育て環境を受けとめて、逆に利用することに思考をシフトチェンジできたなら、何も困ることないのか・・・。まず私たちのチームワーク。みんなと話そう。子どもを真ん中に考えた高田保育園がもっと輝くために。
彼岸花さんありがとう。
「レジリエンス」10月園だよりから
「全力ってなんだ」9月園だよりから
「笑顔あふれる食卓へ」8月園だよりから
子ども達の食事事情。なかなか食べてくれない。じっとしては食べれない。好きなものしか食べない・・・・などなど。気になることはありませんか?
ある偉いお方の本に「自己防衛本能として子どもの味覚は敏感である」と書いてあるのを見つけました。苦みは毒、酸味は腐敗が自然界の感覚だということを考えると、自己防衛とはなるほど、食べ物に慎重になるのは自然の摂理、子どもはすごいと思いませんか。好き嫌いは子どものせいでも、しつけのせいでもないということです。
そして、一般的に乳幼児の集中力は年齢+(プラス)1分だと言われています。これも偉い方の研究結果です。お家でリラックスしている中であっちこっちで食べたり、遊びながら食べさせてもらったりするのも仕方ないことだと思えませんか。そう考えると、保育園ではとっても頑張っていて、先生や友だちと食べることが楽しい=食べる時間→食べることは大事と繋がっていくのですね。その過程で無理に食べさせたり、怒ったりしてしまうと、ペースが壊されたと子どもの本能がキャッチするのかもしれません。
例えば2歳の子どもの胃袋は500㏄。もちろん個人差はありますが、どうでしょう、1杯の汁とおかず、ご飯少しで満杯ですよね。運動量もそれぞれですし、食欲もみんな違います。何回もお腹がすいて「なんか食べたい」となってしまうのも、仕方ないか・・・ってなります。保育園の集団では、ご飯の時間が決まっていると毎日の生活の中で覚えていくから、
「今食べないと、元気出ない」→食べることは大事と繋がっていくのだと感じています。
食育の歯車は楽しさからスタートし回りはじめます。
子どもの食事の「ムリ・ムダ・ムラ」は発達上仕方のないこと、少し肩の力を抜いて。
まずは私達大人が美味しく楽しく食べる姿を見せながら、
笑顔があふれる食卓であれば最高だなと思います。
「幸せだと思えるところ」7月園だよりから
只々、自分の漠然とした不安を開示し保護者の皆様を巻き込んで、そうしたことで自分自身を浄化し、改めて園を律していきたい私の思いを聴いていただく・・・という時間。園長のつぶやきごときで貴重な時間をつぶしてしまったかもしれないだろう空間で、温かくうなづいてくださった方、拍手までくださった方々。つくづく幸せだと感じました。ありがとうございました。
高田保育園は、社会福祉法人高田福祉事業協会の一施設です。老人ホームが母体となる法人です。
0歳からお年寄り、生涯を共にする環境として成長してきました。子ども時代は私たちが通ってきた道。老人介護はする側受ける側、いずれにしてもこれから先何らかの形で通るだろう道。
この歳になってふと思うのは、どんな生涯の閉じ方をするのかな・・・・ということです。20年来一緒に働いている職員は、私の介護をしてくれるとか言ってますが(笑)。 保育園前の高田ケアハウスに入居しようかとか、みんなでいこ。待ってるわ。とか、言ってみたり。とにかく、ここ高田保育園の周辺にいたいという思いがにじみ出ている。
くどいくらいの高田愛・・・。
「自分や家族がそこに居て幸せだと思えるところ」 そんな法人、そんな環境でありたいと思います。
「りそーす」6月園だよりから
「だんだんと感じていくもの」5月園だよりから
「大好きな場所」保護者会会報「のんの」より
卒園前のdayキャンプ、みんなで力を合わせて宝箱を見つけた瞬間、楽しさの絶頂。
手にした宝物は、発表会衣装で撮った写真のキーホルダー。じっと見つめてから視線を移し、私の前に来てふと口にした一言。
なんだろ、完全ノックアウト。
幼児教育は学んだものの、すんなりとこの現場に入った人間ではない。デザインや服飾、バイヤーの仕事に興味があって、実家を離れてアパレル業界に就職したのが私の職歴のスタートなわけで、実習先の園長先生の電話で急に始まった保育職の道。
もったいないと言う人もいたが、公立保育園を何の躊躇もなく5年で辞めて、子育てと家事に専念したのは高田保育園と出会うまでのわずか一年と数か月。
担任時代から今の立場へと、振りかかった流れに大きく逆らうこともなく、その場その場を自分なりに進んできた。スタートこそずれていたが、たくさんの経験を重ね、たくさんの親子と出逢い、気付けば、さも天職のような顔をしている自分がいることに不思議な感覚さえしてしまう。
そう、
三〇年間ずっと一生懸命になれたこと、それは間違いなく自分の力ではない。
幼くとも純粋な子どもたちの想いが、私の両手を引っ張ってくれているのだ。
それを改めて実感し、気持ちをわし掴みにされた一撃。
わずか六歳の子が私のブレを修正し、大丈夫だと後押してくれたのを感じたのだ。
一瞬時が止まったようで
周りを見ると、どの子もみんな最高の笑顔。同じように幸せで満たされる先生たちもそこにいた。
やっぱり私は
高田保育園が 大好きだ。