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ふじ美先生の相談窓口
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059-232-2075

社会福祉法人 高田福祉事業協会
高田保育園

三重県津市一身田町280
TEL.059-232-2075
FAX.059-232-2307
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高田(たかだ)保育園は三重県津市一身田(いしんでん)町にある保育園です。
 親鸞聖人(しんらんしょうにん)を開祖とする真宗高田派の本山、専修寺(せんじゅじ)を基盤とし、『すくすくのびよ仏の子』をキャッチフレーズに、月に一度の参拝や仏教の行事を通して「生命を大切にし、感謝するこころを育てる」仏教保育をすすめています。

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2025年度(R7)園長コラム

表現のきっかけは楽しいことから(4月園だよりから)

 今年度のテーマは一人ひとり違う感じる心、自己表現のきっかけを応援しようです。

 みなさんどうでしょう。自分を大事にしてますか? 自分の感じ方を尊重してますか? 一つのできごとに対する感じ方はみんな同じじゃないから、まずは自分の気持ちと正直に向き合い、そして違う考え方や感じ方があることに気付くことができたら視野も広がると思います。

 目の前の子どもはどうでしょう。小さな心は、見るもの聞こえるものによっていろんな色に染まろうとします。純粋がゆえにどんなことでもストレートに受け入れる、言い換えれば判断する力が未熟だということですよね。何のフィルターも通さず真っすぐに染まる乳幼児期は環境によって変化し、それこそが人生の土台となるのです。

 忘れてませんか?泣くこともダダをこねることも、子どもにとっては自分を伝える大事な手段だという事。

忙しいときほど泣いたり困らせる我が子を「なんで今なん!」と感じていたのは私だけで、子どもは、泣きたくて泣いているだけだったのに。抱きしめることでお互いが安堵できたような、そんな感覚を今でも覚えています。おさなごの訴えを押さえつけてまでやらなきゃならないことって、そんなにないのかもしれません。

 本日、 入園式・進級式・そして辞令交付式を行いました。高田保育園の目標にもあるように、みんなが希望を持って生活ができるよう、園長としてばーば先生としてどうあるべきかを考えつつ過ごしていこうと思います。

 

   さあ 令和7年度のスタートです。

   ここに集うみんなが 楽しいと思えること、

   それが自己表現のきっかけです。

いつでも帰ってきてね(5月園だよりから)

 黄色のカバーを付けたランドセルを背負って、つい先月卒園したばかりの子が「ただいまあ~」とやってきます。小学校を卒業した子らが自転車に乗って「お久しぶりです」とやってきます。礼儀正しくぺこりと頭を下げて。身体は大きくなってはいるけど、ちっとも変わっていないかわいさで。友達と誘い合わせて来てくれるのが嬉しいです。高校の制服を着た背の高いカッコいい子と横には「こんなに大きくなりました」と笑顔のお母さん。

 昔のように思わず抱きしめたくなるけど、了解を得てからハグハグ。みんな優しい。

 たくさんの卒園児が帰ってきてくれる高田保育園。

 そのたびに力をもらって若返るばーば先生です。

ふじ美4年生 母の日 晴れ(6月園だよりから)

 姉の部屋の押し入れの奥からこのノートが出てきたとき、

わあーっと私を取り巻く空気が回転しながら50年前にワープした。まるで私は映画でも見ているかのように、その短編ストーリーに入り込む。

 入退院をくり返している父親が帰ってきた。母親は小児まひの姉を連れて付き添っていたから、この日は久しぶりに家族でそろうパーテー(パーティー)。笑う声。歌う声。手をたたく音。乾杯のコップのカチンッ。

 目の前の映像が消えた時、はっと我に返った。

涙が一すじ流れる。スぅーっと力が抜ける。

 大事な人の魂はいつでも私の中にいるんだと気が付いた。

 心のよりどころを文字にして、爆発する気持ちを治めていたかのような間違えだらけでへたくそな字。先生に見せるわけでもなかっただろうこのノート。その時の私は、50年後の私がこんな風に見るなんて思うはずもない。

 愛されたこと、大切に思った気持ち、時間がたってもよみがえるあたたかいもの。それが家族。

 時には疎ましく感じるその空間は、決していらないものではない。絶対に絶対に 大事なものなのです。

昔も今も変わらない願い(7月園だよりから)

 暑い夏がもうすぐやってくる!! と、気持ちの準備をする間もなく真夏のような体感温度の日が続き、かと思うと やっぱり梅雨か…とジトジトが続く。体調が悪いような気分になっていた時、デスクの端に挟んであるこの写真に目がいった。

 ずっと前からお星さまにお願いしてきたこと…

『 高田保育園に集うみんなが幸せでありますように 』

 誰もが願う幸せとは、何なのでしょう

昔も今も、そしてこれからも変わらない命の大切さ。

 生きるていることが当たり前で、隣にいる人が明日もいることになんの疑いもない日常の中で、幼い子ども達に命のはかなさを教えることは、非常にしんどいことであって、残酷すぎる。

 だから私たち大人は、『生きる』ことに誠実でありたい。

嘘をつかない、真心をもって人や物事に対すること。その姿を見せること伝えることこそが、

「あなたは大切な存在」につながっていくのでしょう。

  

 今、感じている愛される安心感が、この子の一生の支えとなっていく「心」の関連性を理解したとき、自分の大切にすべきことに気づくのである。

思いを馳せる(8月園だよりから)

 猛暑を告げる蝉噪が1センチの隙間から一気に侵入してくる朝。 ドアを開けた瞬間に車内を埋め尽くしてくれる その合唱団は、だいたい長くて2週間でメンバーが入れ替わる運命にある。その高らかな鳴き声に、とにかく必死なのだろうとか、その生涯を謳歌する潔さがすごいな、、とか。人間の自分が感じる私目線。

 あちらからすれば、ほっといてくれって話だよな、とかとか。そんな多分どうでもいい事に思いをはせる。

 子どもたちは、プールではしゃぎキャーキャーと声を弾ませる。危険と隣り合わせの活動であることを、常に頭に置きながら、満面の笑みで一緒に楽しむ先生たち。そう、命を育てる日常は、いつも危険と隣り合わせである。だからこそ、一生懸命考え、一生懸命楽しむ。それを毎日繰り返す。楽しい日々が受け継がれていくように、精いっぱいの愛情と精いっぱいの笑顔で包み込む。押しつけではないそんな空気感が心地よく、安心させてくれる。やっぱりここはいい。

 カタンッ。カタンッ。水の中から頭をもたげてこっちを見ている亀太郎。ああ君も本当は広いところに行きたいのか。いやいやもしかすると、たくさんの子どもたちに愛されて、自分が亀だと分かっていないかもしれないな。これも勝手な私目線だが。

 気が付けばいろんな命が交わっている。それはみんな受け継がれたものだから、自然に馴染んでいるわけで。

もうすぐお盆。お墓参りに行こ。

お盆(9月園だよりから)

 信号で止まってあたりを見ると、トンボがたくさん飛んでいます。
お孫ちゃんを車に乗せてその話題になったのがちょうどお盆でした。私が思わず「お帰り~」と言ったものですから、「誰に言うたん?」となったわけです。以前から、お盆になると急にトンボがやってくる感覚があって「お帰り」と口にしていたようなんです。仏教的にとかそんな意味ではなく無意識につぶやいていたのでしょう。
 その日も同じ感覚でした。3歳児にしてみたら、なんでお帰りなん?となるのは当然のことですよね。 さあそこからです。
「誰に言うたん?」 「トンボさんやに。いっぱい飛んどるやろ」
「なんでお帰り?」 「…そやな~ばあばのお母さんとお姉ちゃんと、お父さんと…さあ、、(なんて説明しようかな・・・)」
「ばあばのお部屋の写真の? そーか!トンボになったんか」
「じゃあ、あのトンボさんは誰?」 「…えーっと・・・」
「いっぱいおるで、わからんな~(笑)」 「うん、そうやな。」
まったりとした時間のばあばとお孫の会話。
子どもの感受性は、想像以上に豊かで透明だな・・・と改めて。
 この日の会話をいつか思い出すのかな。
ガラス越しに周りの空気を感じながら車を走らせて話をするのも素敵です。小さな画面を見ているより、面白い発見があるかもしれませんね。
 

本気のやる気(10月園だよりから)

 先日、スポーツ少年団の大会がありました。バレーボール三重県決勝大会です。私が立ち上げて早くも23年になるチームも出場しました。優勝こそできませんでしたが、今までの試合とは違う子どもたちの姿に手応えもありました。今年のメンバー、学校ではきっと先生の言うことをちゃんと聞いてちゃんとこなすお利口さん揃いだと思います。しかしここ近年で一番手こずった…と言うと人聞き悪いのですが、私の今までのスキルでは通用しないところも多くて。アプローチの方法を工夫する必要がありました。小学生と言えども勝負の世界です。試合に臨むまでの準備とそのプロセスが一人ひとりの成長に繋がるように導くことが監督の役割なのですが、いちいち感情が持っていかれることに私自身が滅入ってしまうことも度々。思いが強いからこそなのですが、これが自分の首を絞めていてしんどくなる原因であることはわかっているのです。  
 本当のやる気を表現することって、年を重ねるほど難しくなるのだと思います。保育園のころは、何でも興味をもってやってみることに臆病ではなかったはず。6年生の今は恥ずかしいとか、失敗したらどうしようとか、どうせできやんしとか…それは、経験を積む中で何となく習得した自己防衛反応なのかもしれません。だとすると、上手くなりたいとか、勝ちたいとか、その気持ちだけをフォーカスして引き出すことは思った以上に難しく、その上試合にあわせることなど至難の業なのです。
 そして、すったもんだしながら友達との絆を築き、きっかけはどうであれ、気づけば夢中になっている。またこの子らも卒団したくないと言いながら巣立っていくのでしょう。
高田保育園を卒園した子が6名。やっぱり感動はひとしおです・・・。

がんばるのかたち(11月園だよりから)

 これまで幾度となく言われてきたはずの『がんばれ』。
あの時、鬱陶しく感じた『がんばれ』や、重たく感じた『がんばれ』のせいで、『がんばれ』って言葉はあんまり好きじゃなかったけど
そんな事もうどうでもいいくらい
純粋であったかい『がんばれ』があふれる場所。
応援していたはずの自分が、輪の中に吸い込まれ、
気づけば応援してもらっているような・・・この感覚。
ときめきとあこがれが目標となって
表現できたとき、一つの成長が生まれる。
それはいろんな形があって、
目に見えるものばかりじゃない。
そう、『がんばる』の定義はみんな一緒でなくていいんだ。
できたから頑張ったとか、できなかったから頑張ってないとか
そんな見方しかできないのなら ここにいてはいけないな。

園長の自慢話(1月園だよりから)

誕生日の2日前、突然のサプライズ なんてことでしょう!!うれし過ぎて・・・涙、涙   私の知らない間に、先生と子どもたちが考えて 作ってくれたんです。
 気付けばもう還暦で
いくつかの分岐点をすり抜けて今がある
すり抜けたというと語弊があるかもしれないが
流れに逆らわず生きてきた私という存在は
周りの人に支えられ 導いてもらっているのに、
いかにも自分がやったように 
すり抜けてきたのである
 みんなのお陰で今があって
みんなのお陰で頑張ろうと思える
 
世界一 宇宙一 幸せな園長
子ども達の無邪気な笑顔と
それを包み込む職員の意気軒昂な姿を
ずっと見ていられるように
ありがとうの2026年を思い描く

『担任』(3月園だよりから)

男泣き。
「これは…あかんわ…」と、心の声をこぼしながら目頭を押さえる人。3月の園だより、右半分の写真を見た途端のできごと。 もう3月。やっぱり今年も早すぎる。ひとつずつお楽しみが終わるたび、近づく卒園の日。その流れる時間の中で子ども達と今を過ごす私たち。なんの涙かわからないけど、ただただ泣けてくるのはその流れた時間が本気だったからなのだろうと、私は横で考えていた。
 本気で向き合うということは、先のことまで考えた今を大事にすること。一人ひとり違う一歩先を見つめながら、今をどう生きるか。大げさではなく、本気でどう生きるか。。。
その「今」の繰り返しだった保育園生活がもう終わろうとしていることを期せずして実感した瞬間に、どうやら私は出くわしてしまったようだ。
 担うことを任されるのが「担任」。実に重たい響きのように聞こえるが、実際に文字のごとく、まさに本気で受け止め、そこにやりがいを見出して進んでいく。それぞれの立場の担任を立派に勤め上げた71人の同志たちに心から感謝の気持ちを伝えたい。
 子どもたちの素敵な笑顔を守ってくれて 本当にありがとう。
 巣立つ37人の宝物よ 自信を持って行きなさい。あなたたちは絶対に大丈夫。
だって、こんなに素晴らしい先生たちに囲まれていたんだから。
                  なによりも導いてくださった保護者の皆様、ほんとうにありがとうございました

『 親 』(令和7年度保護者会会報より)

 私には、小児マヒで障がい手帳1級を持った五つ上の姉がいた。3年半前六十二年の生涯を全うして死んでいった姉は小児マヒの中でも重い方だった。手や足が急にいろんな方向に意図せず飛んでくるし、もちろん歩けないし、自分でご飯も食べられないオシッコも着替えもできない人、それが姉で、私が妹。私にとっては、それこそが姉であり、そこに何の不思議さも疑問もなく、ごく自然に育った。                           
 そんな環境で育った私は、何をしても褒められる。自分で歩くこと、ご飯を食べること、ごく普通のことを普通にやっているだけでも、すごい事のように褒めてもらえる。振り返ると自己肯定感の塊のような子どもだったと思う。当然姉も練習したら歩けるようになると思っていた私は、大きめの一人がけソファーに座っている姉の足を引っ張ったり曲げたり動かして、そのうち立てると信じていたようだ。
 姉を見る人の視線がそれまで感じたことのない空気を放っていることに気づいたのは、現実が薄々わかってきたそんな最中のことだった。小児マヒの特質的な頑固さがあるものの記憶力はむしろ優れていた姉は人の気持ちを察することも余裕でできたはず。 世間は無情である。
 ある日家族四人で出かけた時のこと。父と母は買い物に行って私と姉が車で待っていた。通りかかった子どもが車の窓越しに「お化けみたい」とつぶやく。わざわざ私のほうに回ってきて「フジミのお姉ちゃんお化けみたいやな。」とまあまあ大きな声で言う男子。見ると、同級生。悔しいし悲しいし、心臓がドクドクした。何とも言えない思いがこみ上げ、その勢いで車に戻った父に泣きながら話した私。両親の気持ちも姉の気持ちも考えず、ただただ自分の気持ちをぶちまけた。                                 父は 『そうか。お化けみたいに見えたんかなあ。おかしいなあ。こんなかわいい お化けおらんのにな。』と言って、後部座席の私の頭にポンポンと手をのせて、姉の方に目を移し微笑んだ。何にもなかったように運転し始めた父。ある意味拍子抜けの返事をすんなり聞けなかった私はなんだかしばらく勝手に悶々としていた。
 子どもの目にはそう見えて、素直に表現しただけ・・と思えたのは、大分たってからのこと。ありのままを受け入れること、実はそれが一番厳しいことかもしれないけど、与えられた人生に逆らうことの方がもっとしんどい。しゃあないなって思うことは諦めではない。しゃあないなって向きあう前進もある。それが立派な生き方なんだと、私の尊敬するヒーローは身をもって教えてくれた。
 姉が産まれて、私を産むまでの5年の間で、父と母は心を整理し、心を鍛えそして決意したのだろう。私を産むことにとてつもない不安と、そして希望があったのだろうと。今は痛いほどわかる。
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